受付時間
9:00~12:00
15:00~20:00
  • HOME
  •  > 
  • 気功の歴史について

気功の歴史について

「気功」という言葉を、誰でも一度は聞いたことがあるのではないでしょうか。

気功とは、簡単に説明すると「気」を練ることを指します。

もっとも、気功という言葉は、1960年代後半から1970年代前半におこなわれた中国の文化大革命以降に作られた言葉だといわれています。

気功については、専門家がさまざまな主張や説明をおこなっています。

気功は、中国の文化大革命以前に、導引や布気、内丹、按摩、吐納、行気など、道家の養生法や気を体内に巡らせる養生法、武術、修行法などとして、中国各地で各流派がそれぞれおこなっていたものです。

これらの方法が統合されて、近代化したものを「気功」と呼びます。

しかし、気功といっても、実際に触れたり感じたりしたことがない人には、眉唾ものに聞こえてしまいます。

本当に、気功は実在するのでしょうか。気功は、現代でどのように活用されているのでしょうか。今回は、気功の歴史について解説します。

気功の歴史

前述したとおり、「気功」とは導引や布気、内丹、按摩、吐納、行気など、中国各地でおこなわれていた養生法や武術、修行法などの方法が統合され、さらに近代化した名称を「気功」と呼びます。

気功という言葉は、文化大革命以降に作られた言葉ともいわれていますが、古くは紀元3世紀に、「浄明宗教録」という道教の書物に記述されています。

もっとも、この頃の気功と現代の気功の意味合いはかなり違います。

現代で知られる「気功」という意味合いで、この名称が使用されるようになったのは、1934年に養生家「董浩」により書かれた「肺老病特殊療法 気功療法」という書物が最初だといわれています。

ただし、現代における意味合いでの気功法の創始者は、「劉貴珍(1920年生」という専門家が多いようです。

劉貴珍は、古来より中国でおこなわれていた導引や定功、静坐、吐納などの方法を、1950年代に「気功」として体系づけた人物です。

彼は、中国共産党に入党以降、公営の貿易会社で働いていました。

しかし、肺と胃の病気になり、仕事ができなくなるくらい身体が悪化してしまいました。

そのため、自分の故郷に戻り、療養につとめることになります。

このとき、親戚の劉渡船から「内養功」と呼ばれる食事療法や気を用いた錬功、養生法などの治療を受けることにより、病気が完治しました。

彼は、「北戴河気功療養院」を創設して、さまざまな功法を使い、患者の臨床をおこなっていました。

例えば、気功法の基本功法には、調心、調息、調身があります。調心は、精神を整える気功法です。

調息は、息を整える気功法です。調身は、身体のバランスを整える気功法です。

彼は、これらの功法を活用して、身体や精神に起こる症状に対する臨床をおこなっていました。

当時の内養功は門外不出、秘伝中の秘伝であり、劉渡船は彼に教えることを断りました。

しかし、彼の熱心な思いが伝わり、劉渡船は根負けしてしまい、劉貴珍に教えることになりました。

内養功は「静功」の一種で、臥式と坐式があります。臥式とは、仰向けの状態で、坐式は座った状態のことです。これらの状態で、気功法をおこないます。

内養功では、呼吸法と内丹法をおこなうことにより、精神を安定させて内臓を活性化する気功法をおこないます。

また、劉貴珍による気功法は、道教でおこなわれるような「呪文」を使用する方法などもあります。

明の末期から清の初期にかけて、劉貴珍による気功法が完成されました。

彼は、劉渡船の内養功を学び終えると、この養生法について1948年に「気功」と名付けました。

当時の衛生庁副長官が、彼に多大な理解を示し、幹部療養院に派遣して「気功科」が開設されました。

そして、1951年に、劉貴珍により「気功療法実践」が出版されました。

劉貴珍は、時の権力者である毛沢東や劉少奇などにも認められ、1953年に唐山気功休養所を設立して1956年に院長になります。

しかし、中国共産党による迫害も多くありました。文化大革命が始まったときには、彼の療養院が破壊されたこともありました。

しかし、文化大革命以降には、彼の気功法が再評価され、1979年には中華全国中医学会が気功の研究を始めました。

さらに、1981年に気功科学研究会が設立されました。

劉貴珍は、1982年に気功主任医師という職称を与えられ、2年後の1983年に死去されました。

現代では、中国古来からおこなわれていた導引や布気、按摩、内丹、行気、吐納などの方法も気功に取り入れられています。

さらに、鍼灸や「易筋経」と呼ばれる達磨大師の武術経典による中国拳法、西洋医学なども取り入れられ、気功は複雑に多様化しています。

現代では、さまざまな機関や大学、民間などで気功の研究がされています。

気功は、自然科学的視点からも検証されていますが、疑似科学を生むなどの批判もあります。

そして、道教や仏教、儒教などの教義経典などにも取り込まれるなど、宗教化などが起こる事態にも発展しています。

気功は、1980年代から1990年代にもっとも広がりをみせて、多くの人々が実践されるようになりました。

しかし、1999年の法輪功事件により政府の弾圧を受けて衰退します。

中国政府は、法輪功以外にも、香功や知能功、霊元功、保険功、禅密功、郭林新気功、大雁功などの気功集団も壊滅させました。

ただし、気功自体は、政府の管理下において各機関で研究が進められています。

気功の分類

気功は、大きく分けると武術的要素が高い「硬功(こうこう)」と養生法的要素の強い「軟功(なんこう)」に分けられます。

硬功は、たまにテレビや雑誌などでも取り上げられますが、身体を硬く(硬質化)させて石やブロックを頭などで砕くなどができる方法です。

逆に軟功は、病気の予防や治療などを目的とする養生のための気功法です。軟功は、さらに「自己運気法」「外気放射法」に分けられます。

自己運気法は、自分の健康のためにおこなう気功法で、体内の気を練る気功法をおこないます。

外気放射法は、他人に対して気を送り込む気功法で、患者さんを治療するための方法です。

このように、現代で気功と呼ばれている方法は、中国でさまざまな発展を遂げてきました。

現代で呼ばれている気功とは、気功の中にさまざまな要素が含まれていて、より複雑化しています。

しかし、気功の効果は素晴らしく、世界でも広くおこなわれています。気功による医療は西洋医学でも取り入れられ、現代でも広く親しまれています。